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だいたい立春

東京都の年長児と小6はこの時期、校区外の公立小中学校に進学希望を出すことができる。応募者多数の場合抽選となる。お受験率が高いから、私立や都立一貫校に受かって区立中には行かない子も多い。区立に行かない子のぶんだけ、さきの抽選で落ちた後の補欠者が希望の区立中にいける。私の弟だ。

弟のことばっか言ってるけど家から出なくて会話相手が二人しかいないからしょうがない。

他のところの事情はよく知らないけど、同じ小学校に通っていたのに校区にしたがったら違う中学校に進学することになった、ということは23区だとよくあるらしい。弟も校区に従うと小学校の友達とほぼお別れして小さい荒れた中学に進学せねばならないので友人たちが通うことになる大きくて部活の強いところに希望を出した。補欠から繰上げ当選し、進学先の説明会に出るために自治会のバス旅行をキャンセル、あまり人数へらすのもなあということで私が銚子電鉄に乗って犬吠埼に来てまぐろの塩辛を買った。

ちなみに高校の頃聞いた話によると、荒れてない区立中には応募がたくさん来て、生徒がたくさん入る。そして荒れる。荒れていた中学は少人数教育により鎮まる。以下ループするらしい。長期的な校風が発生する余地が無い気がするけど、天の川のごとく学校のある都で区立に求めるのは校風じゃなくて治安なんだろう。

うしろに弟の同級女子が何人か座っているのだけどお話ができない。やたら豪勢な昼ごはんで向かい合わせになった挙動のおかしい爺さんがビールのキャップの切れ端を大事そうにポシェットに収納していて怖くなった。素手で魚を食べないでくれ。

わたしもいずれああなるのだけど覚悟する必要はきっとない。その頃には自我がないから。自我がなくならない場合、恥が消えているから。できれば自我が消えてほしい。

自我という言葉、自己を見つめる我という意味で使ってるけどたしか誤用だった気がする。

実際に東映?の例のオープニングに使われたらしい、荒波が寄せて消える岩場を眺めたけど岩に打ち上がったあとの海水の挙動がラップの上のローションそのものすぎて驚きはあっても情緒がなかった。ノー摩擦。ローションをこの目で見たことはないんだけど、テレビでときどき見る限り。

弟は同級生に私を横綱として紹介していることを最後女の子が教えてくれた。あなたもそのようなきつさが訪れるから心を強くね、とか言いそうになって止めた。このまま社会復帰したらすぐに大事故起こす。言いそうになることがもうだめ、確信がある。なにも喋りたくない。概念体になりたい。